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いとめでたきことふたつ [私]

アンダーワールド、2012年ロンドンオリンピック開会式の音楽監督に就任

アートディレクターはダニー・ボイルで、『トレスポ』から『フランケンシュタイン』に至るまでの両アーチストの蜜月なる関係が新たに生み出すコラボレーションが来年、オリンピックゲームスのオープニングセレモニーという大舞台において全世界の前にお目見えするというのは、ファンとしては嬉しい限り。個人的にもスポーツの祭典にはさして関心を持てなくっても(せいぜいメダル争いに日本人選手が絡んできてはじめて観てみよか、という程度ですからw)、このコンビが一枚噛んでるとなれば開会式、是非観てみたいものです。

コンビ作で印象深いのは・・『サンシャイン2057』ですかね。こちら福島市の映画館でこれはメジャー作品としてロングラン公開されたのではなく、単館系作品の括りで一週間だけひっそりとかかった感じだったので、自分としては「何としても見逃すまい」という思いもあったものの、一方でその扱われ方のあまりのひっそり感に「大丈夫なのかな・・」と信心も揺らがないではなかったのですが、いざ始まってみればモロ好みのナイーヴなSF映画で、いたく満足して劇場を出てきたという思い出があります。そういえば揉めに揉めてリリースされなかった同作のサウンドトラック、itmsではダウンロード販売されているのをまだ入手していなかった(と、すかさずポチってみる)。

ガブリエル・ヤールとの共作ですがアンダーワールドの手がけたサウンドトラックならば『Breaking and Entering』も凄く良くって、元来ダンスミュージックだけでなく環境音楽の方にも強いヒトたちだと思うので、とにかく来年を楽しみに待ちたいと思います。



UFCがチャンピオンシップを含む対戦カードで日本に再上陸

これ、無事チケットとれました(S席)。日本格闘技界にとっての2.26事件となるであろう(意味不明)、現在世界最高峰の舞台が日本へと満を持して戻ってきます。ここにはUFCが戻ってくるということと、MMA世界最高峰の舞台が戻ってくるということの、二つの「再上陸」の意味が重ねられ得ると思うのですが、自分にとってはやはり後者の意味の方が大きいわけでして、規定対戦カードにもクイントン・ランペイジ・ジャクソンや五味隆典など、かつて世界最高峰の舞台を担っていた国内プロモーション、PRIDEで活躍した選手が名を連ねており、最先端の総合格闘技をじかに目にしつつ、心の裡で旧き良き時代を懐古するというような、温故知新的な楽しみ方ができそうな気がしています。それにしても久々のさいたまスーパーアリーナ・・最後は戦極とDREAMの対抗戦がメインの大晦日興行だったなぁ。今ではあそこも立派な放射能汚染地か・・(測ってガイガー!によると)

見えない世界に色をつけるのは・・ [私]

どっこい生きてる自分の近況はというと、秋田という新天地で今後暮らしを立ててゆくための肝心要の足がかりとなる再就職については、今んとこまだ第一志望と第二志望とが生き残っているという望外の展開を見せているが、まだまだ油断はできない。でもそんな精神的余裕を生むような要素がなくもなかったりするものだから、この半年以上の間その気があまり起こらなかった趣味への関心というものが、徐々に再起動してきている感じもしている。

サカナクションの『エンドレス』に思いを致すことが最近多い。曲解といえば曲解なのだけれども、一応福島という被災現地に居た人間ではあったもののそれでもやっぱりインターネットを介して今回の事態や人々の考え方や振る舞いを眺めていることのパーセンテージが多かった自分としては、悲しむ人の後ろからそれを笑う人(以下連綿と続く)、あるいは怯える人の後ろからそれを煽る人(以下連綿と続く)という不毛な関係のエンドレスぶりにはだいぶ心を痛めたものだし、今や福島を離脱した自分にとって「悲しくて泣く人の後ろから自分は何て言おう?」という歌詞には大いに共感を寄せるところがあるのである。

自分はそうした悲しむ人たちの脇にも前にも立つことができないんだよなぁ、せいぜい後ろから声をかけることぐらいしか出来ないんだよなぁということを意識するたびに、自分の「特定避難勧奨地点指定による避難者」という中途半端な立ち位置にはひたすらもどかしさを覚えるのだし、と言いつつも自分はその都合のよい立場を活用して上手く立ち回ろうともしているのだから、文句も言ってられまいとも思っているのであるが、ともかく自分が今思うのは、ネットで展開する空しい連鎖に関わりたいという気はさらさら無くって、「その声は僕だ」と正々堂々と明らかにしながら、良き循環がエンドレスとなるよう自分に出来ることをしたいという決意のことである。



拝啓 愛チカラさま [私]

※これはフィクションでよくあるいわゆる”届かなかった(読まれなかった)手紙”的なものとしてお読みくださいwそしてこのような迂遠な形で愛情表現できないこと、関係各位にはご容赦いただけますようお願いするばかりです。

 先日は小国の子を持つ親御さんたちへの個別ヒアリングということで、遠路はるばる福島までお越し頂きありがとうございました。自分もたまたまそのとき小国に戻っていたことから、自分の手を既に離れ皆様の厚意と熱意によって堂々と築かれようとしている愛知と福島とのその絆の確かさを、図らずも垣間見せていただくことができ大変嬉しく思いましたし、小国のお父さんお母さんの抱える複雑な思いに相対したことにより、秋田へ避難したことに伴って徐々に薄れつつあった、当事者感というものを再度呼び覚まされた感もあり、今は胸のざわめきを宥めすかしつつ、「ここの子供たちのために何をかせんといかん」というモチベーションを静かに高めているところです。
 ときにわたくしごとですが先月のリターンズの際にはわたくし完全にヘソを曲げており、まったく受け入れに際してのお手伝いをしようという気がなかったこと、今更ながらここにお詫び申し上げたく思います。それは安全かそうでないかという直接的なことを問題にしたものではなく、放射能汚染地に生きる我々みずから、無用の被曝者を増やすことや汚染の拡大・拡散についてはケッペキな姿勢を示すべきである、というスタンスを問題にしたものであり、確かに自分も内心「基本屋内活動だし一泊くらいどうってことないじゃないか」などと思いたくなってしまうわけなのですが、「子供にとって安全かどうかは分からないが、とにかく不安であることだけは確かだから、ゆえにこそ私は行動=避難する」といっているような自分でさえも、結局どこかで禁を犯し、何の確信も根拠もないのに自分なりの安全かそうでないかについて常々判定を下してしまっているというのが自身許せないこともあり、それへの拒否感もあってあのような態度をとることとなってしまったのです。
 しかし今回愛チカラさまのお話を聞いていて改めて気づかされたことがあってそれは、「リスクを引き受けないでは成し遂げられるものも成し遂げられない」ということで、つまりやっぱり来福するということはノーリスクではないと。しかしもたらされるリスクに対して得られるかもしれない成果が遥かに勝っている、だから敢えてここにやって来るのだと。ここでいう成果とは、小国の子供たちが笑顔に満たされフツーに過ごせるようになること、であると思うのですが、皆様のその強い意思表明は私にとり、皆様が来福されることを自分の中でどうにか容認するための一助となりましたし、なにより皆様の活動が”自己犠牲”や”献身”なくしては有り得ないことを再認識し、感謝の念をさらに深めた次第です。
 ただ一つだけ申し上げたいのは、愛チカラの掲げる”We are family”がまさしくそうであるならば、自分にとって皆様の家族におけるポジションというものを想像すると実は子どもだということで(自分もまだまだ若輩者なのですが)、それも前途有望な可能性の宝庫のような子ども、のように思えるものですから余計にそうなのですが、つまりは私自身の子どもを此処に居させたくないと思うのと同様に、皆様のことも居させたくないと思ってしまうのが親の心情であるということを、ご理解いただきたいということなのです(それは小国の子どもたちについても同じなのですが)。皆様に無用の被曝をさせないためにはどうすればよいのかというと、それは言うだけなら簡単で、我々がここに留まっていなければ誰もわざわざこちらに来る必要がなくなるわけなのですが、それが実現可能かはともかくとして、家族の一つのありようが相互扶助であるとするならば、愛知の家族たる皆様との関係をより強くしつつある現状にあって、我々はそのこと・・家族に気遣ってもらうだけでなく相手のことも気遣う・・に自発的に気づかねばならないし、ことさら念頭に置いていかねばならないのではないかと思います。
 例えば我々が愛知に居を移し、正真正銘の愛チカラメンバーとなって、今度は小国ではない福島の別のどこかのだれかを、「避難した方がよい」とかき口説くのではなく、「家族になろうよ」という前向きな形でお誘い申し上げ、結果避難や疎開が促進されていく・・自分がかつて願っていた避難の輪の広がりが、今度は家族の輪の広がりという新たな形をとってそのように実現したらいいなぁ、というのはあくまで自分の妄想に過ぎないのですが、より地に足のついた夢の話としての”シェアハウス”もまた、自分にとってはその妄想と同じぐらいとてもいい音で鳴り響いているアイディアの一つであります。
 誰のお財布でそれを用意するかという部分に目をつぶれば、独力で愛知の地に福島からの移住の足がかりを築き上げようというそのプランには、ホームステイや寄宿学校などこれまで取り沙汰されてきた大掛かりな枠組みの話よりも実現性がありそうに思えますし、何より「愛チカラの家族が住む家」という部分には大いにロマンを感じるものがあります。自分がそれに対しどれくらいお力添えできるかは今のところ分かりませんが、単なる夢の話で終わらせたくないと固執したくなるような魅力を備えているのは事実であり、だからこそこうして懇々と思いの丈を綴っているわけであります。多少変奏されてでもこのアイディア、なんとか実現させたいものですね。
 長くなりましたが、今後とも愛知の皆様、小国の子どもたちのことをよろしくお願いいたします。それから、あまり激務に傾倒することなく確りとご自愛くだされますことを、切に望みます。次にお会いできるのが冬のアレなのかは分かりませんが、またお会いできる日を楽しみにしております。敬具

スナック菓子にもさすがに飽きてきて [私]

嫁と娘のところに帰りたくて仕方がない最近だが、この一週間福島でやることなすことそれなりにあったものの、そのあいだの暇な時間に何をしていたのかというと、ほとんどDVD視聴に費やしておった次第。

とりわけ『LOST』はシーズン2をクリアしてシーズン3まで歩を進めることに成功。当初からその影は「遺されたテクノロジー」という形では見え隠れしていたものの、いざ実際に島における主人公たちより上位(優位)な存在としての人間が具体的に登場してくると、108分毎のボタン押しミッションがダーマ・イニシアチブの心理実験に過ぎなかったと思ってやる気なくしたロック氏のように、なんだか自分も「全てはしょせん奴らの手の内の出来事だったのか」、と興ざめの感も無きにしも非ず・・ただし、全体の筋書きを書いているのはダーマの残党?なんかではなく依然として更なる上位の存在で、それは運命というのか天の思し召しというのか分からないけれど、どのように登場人物の行く末が過去と現在と未来において数奇に絡み合っていくのか、まだまだ完全に興味が尽きないのもまた事実である。

それから『トロン:レガシー』というのを観たのだが、これはジェフ・ブリッジス対ジェフ・ブリッジスでジェフ・ブリッジスファン狂喜の展開、ってことでいいのだろうか?オリジナルからある設定なのかも知らんがディスクバトル(確かそんなの)というのがどうも気になって、例えば「剣は我が命」とかいうフレーズはよく聞くものの、それは自分の生死を託して共に戦いに身を投じる武器=剣に対して覚える一心同体の感や愛着のことを言ったりするのだと思うのだが、本作におけるディスクはそもそもそれ自体わが身にとって大事なものであるのを、場合によっては武器としてひょいひょいぶん投げるという性質のものであろうから、何というリスキーな戦いかたなのだろう、と映画の内容よりその設定・前提の作られ方のほうばかりが気になってしまった。

『ヘブンズ・ドア』は、かつて一時期「ドイツ映画だ!!」みたいなブームが確かあってw、『ラン・ローラ・ラン』とか『バンティッツ』とか本作リメイク元の『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』くらいしか知らないのだけれども、とにかくオリジナルにあった(はずの)爽快な勝ち逃げ感みたいなものはさっぱり無くなっていて、目的地の海(終局)に向かえば向かうほど哀調を深めるばかりに感ぜられたのであるが、それは逃避行の相方があのいたいけな女の子であるせいなのか、それともリメイクならではの宿命(=展開を既に知られているだけに余計に「こうなるしかない」という思いで眺めるしかないという意味での)のせいなのか。そうした感想はオリジナルを知る観客のみに宿るものではないと考えるのだが、というのもかりに制作サイドに立ってその心境を想像してみれば、「下手に本家の展開裏切って意表突いてみたってしょうがないし無粋だよね」というような、どうしても規定路線で進んでいくしかないという諦念がハナから存在したであろうことは否めない気がするし、あのラストシーンはオリジナルでもかなりキモとなる場面であるために、リメイク版を物語り始めるその当初から、あの場面にめがけて突き進んでいくようになってしまう感じもあったりするのだろうから、つまりは観客が本作を悲しく眺めるから本作は悲しいのではなく、制作者さえも本作を悲しく眺めて作っているから本作はきっと悲しいのだろうと思う。

何作かぶりに北野作品を観た気がする『アウトレイジ』である。ビート氏はフツーというかステロタイプなやくざを演じている。今までもやくざを演じたことは何度もあると思うが、そこでもつねに”至ってフツー”を演じていたわけなのだけれども、そのフツーさは一般人がフィクションの世界に想定するやくざ像としては決してフツーではないところが多々あったわけで、そういう意味で本作のビート氏は(珍しく)やくざとしてのフツーさを纏っているように見えたのであった。そのぶん、このやくざ同士の抗争が繰り広げられる本作・・つまりは出てくるのはひたすらやくざばっかり・・において、ビート氏の存在感は普段よりもいくらか沈降しているように思えて、その代わり目を引くのが、あんまりやくざっぽくない(というのは個人的印象に過ぎないのだけれども)キャスティングと思えた加瀬(亮)氏や三浦(友和)氏で、などと気にしていたら結局この二人が勝ち残ってしまった。ビート氏は組を潰され一人生き残り、いよいよ捨て身の復讐劇が展開されるのか?と期待してしまうが、敢えてこの期待からズレるようにして自首してしまって、それはそれで目を引くけれども、やっぱり終始一貫して作中において目立たぬようにしている印象を覚えた。


菊花賞が来るぞ [私]

あぁ久しぶりの競馬ばなしwJRAの菊花賞のCMはナリタブライアンがモチーフだったが、これには痺れた。一貫して使用楽曲は『20th Century Boy』だがナリブの圧倒的な三冠レースの走りは、21世紀まで眼中に入れてディープインパクトあたりのそれと並べてしまうといささかその輝きが鈍ってしまうわけで、だからこそ20世紀と視野を囲ったうえで思い起こすのがいいと思うのだ。世紀の終わりに現れてクラシック戦線で猛威を発揮した怪物。

思い返すと自分が競馬を”ちゃんと”観出した92年から5回も、三冠獲得がかかっていたようで、だから数あるG1レースでも菊花賞と聞くと、興奮と緊張感を覚えつつ武者震いが立つような感じがするのだと思う(初見したブルボンがライスシャワーに敗れた=三冠ならず、の印象が強いのかもしれない)。少なくとも自分の場合、なぜかダービーではそのような感慨は持ち得ないのだ。んで今年もまた、オルフェーヴルが三冠馬に成りおおせる権利を有して臨んでくる。外弁慶、だけども国内では善戦マンだったステイゴールドの産駒から三冠馬が輩出されるかも、などと思うと胸が熱くなってくる。素直に応援する一手。

次点候補だが、神戸新聞杯が2,400mに延長されてからは以前よりかは直結するようになったので、これまた素直に上位馬(ウインバリアシオンフレールジャック)は押さえておいた方が良いように思う。それでもオルフェに前走でつけられた着差は決定的な気もし、別路線組が間に挟まる可能性はあると思うのだが、せいぜいひっそりダービー3着の聖跡を持つ、ベルシャザールくらいしか思い浮かばない(ダービー3着馬ってその後躍進のパターンあったよね?)。夏から秋にかけてのし上がってきたような新興勢力からは、ただただ橋口馬というだけでダノンマックインを買ってしまうから後は手を広げられない状態なのだ(そのダノンマックインも1,000万下をほうほうの体で勝ってきたという感じでいかにも望み薄だが・・)。サダムパテック・・うーんドリパスみたいにクラシックディスタンス以上もこなせるニューフジキセキ(産駒)なのかどうか・・フェイトフルウォー・・別馬と分かっていても血統買いのケのある自分の場合、同配合というだけでやっぱり少しは気に係り・・トーセンラーとかきさらぎ賞観てないせいからかもしれないが、何で売れるのかわからん・・ということで、

◎オルフェーヴル
○ベルシャザール
△ウインバリアシオン
△フレールジャック
△ダノンマックイン


あとは私の競馬の師匠えいと氏の予想公開を待って、一転丸乗りするもよしw(疫病神キタとか言うなよ!)、微調整するもよし。先週から馬券再び買い始めたばかりなので、序盤戦はサクリと当てたい。

競馬予想ブログ「馬☆バカサバイバー」~血統・データ・Mの法則~http://blog.livedoor.jp/bgyamaki/


秋への扉 [私]

ブログ更新が滞っております・・というのも先週は某採用試験のために一応勉強に注力しておったのでしたそれが昨日(いろいろな意味で)終わりw、今週からは福島戻って一週間、地区内の線量マップ作成用計測のお手伝いを勝手にさせていただきたく考えています。いやーしかし、付け焼き刃どころか、ほとんど丸腰状態ではやっぱり太刀打ちできんかった・・しかもヒョードルの60億分の1に比べれば何のことでもないけれど、36分の1って。その小さいパイ、もといパイの欠片を、着慣れないスーツに身を包み、みな一様に緊張した面持ちでテストに臨んでいる若き学生諸君と取り合いするなんて、なんだか前途有望な若者たちの邪魔しているみたいな気分になってきて、あんまり前向きなこととしては捉えられなかったです。んでも、こちとらも可愛い嫁さんと娘の生活が掛かっているので、そんな甘っちょろいこと言ってられないのですが。

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そんな可愛い妻子たちと義父母とで、先日玉川温泉→八幡平とドライブに連れてってもらいました。九州旅行の折、早くもキンモクセイが香りづいていたのにも秋の兆しを思ったものですが、北からスタートする紅葉前線も、八幡平のような高地なんかは既にすっぽりその影響下に置いていたようで、赤と黄色とに覆われたモコモコとした(ブナ?)山並みを眺めて、存分に秋を満喫してきた次第です。ちなみに玉川温泉、麓の新玉川温泉には入湯した経験があるものの、元祖の方は今回が初めてということで、かなりワクワク期待を高めて入浴に臨んだのですが、新玉川の浴場って、オリジナルを忠実に再現しているんですねw本家に入って「まぁ新玉川とそっくりおんなじだぁ!(逆なんですが)」と既視感バリバリっていうwでもやっぱり源泉100%のあの濃厚さ、肌のピリピリ感、たまらんです。今回は乳首から出血とかもしなかったw



小ネタ。
既にご承知かとは思いますが、以前このブログでも取り上げたエステー社のエアカウンター、性能アップ&プライスダウンで今週末いよいよ出荷となります(オクで既に出回ってるとか?)。

生活者の不安を解消するための家庭用放射線測定器(10月20日出荷)
「エアカウンター」を性能アップして値下げ
http://www.st-c.co.jp/topics/2011/000402.html

これ、福島県内優先発売ということなのですが、実際発売初日(出荷が20日だからそれ以降?)に入手できるもんなのかなぁと思って、ちょっぴり各所に問い合わせてみました。欲しい人、ささやかですがご参考になさってください。


ダイユーエイト→県北だと黒岩店のみで予約販売。受け渡しは10/26から。現時点で既に満杯。次入荷未定。

カワチ→東福島店は予約販売。初回分はいっぱい。次入荷は来月初旬予定、数量未定だが一応予約受付中。南福島、鎌田店は予約販売せずで入荷次第店頭売りのみ。西福島店は聞いてない。

Drugてらしま→伊達市掛田店に聞いたら取り扱いなし、と言われた(他店舗未確認)。

ハシドラッグ→西店に聞いたら初回分、次入荷分までも予約満杯とのこと。


というわけで、現時点で予約していない状態で、いっちゃん早く入手できる可能性があるのは、カワチさんの非予約販売店の入荷日狙って朝から並ぶ方法ですかね。カワチの店舗の人がいうに初回入荷台数、少ないみたいですけど。そこまで飛びつく価値があるか?といわれると私も断言はしかねるのですが、この値段ですし、どんなものか後学までに手にしてみたいという感じです。


0925-0929九州旅行の記録 [私]

旅行から帰ってきて2日だというのに早くも記憶がおぼろげになりつつあるし、人が読んで面白おかしくできるような感触もないので、気に留まった点などをただただ列記してみる。

Day1(長崎県長崎市内)
・飛行機オソロシス。あんな鉄の塊が百数十人かそこらの人間を腹に抱えて高度1万メートルを時速800キロだかで移動しているとは乗り終えた今を以っても信じられない。搭乗中は「事故なんて万に一つ、ただしそんときゃ致命的」という観念に支配されっきりになってしまって、他の交通手段のリスクと比べるなど冷静に考えることができなかったのだが、これって世に数多いる「放射能”だけ”を怖がる」症候群と似たような心境なのかなぁなどと考えるところもあった。
・2日目にも同様のロケーションが続くのだが、穏やかで小さな入り江沿いの急斜面の頂まで建物がポコポコと並び立つその光景は、福島や秋田の内陸では到底見られるものではなく、「よそに来た」という旅情をいたくかき立てられるとともに、なぜだか安心感というか親近感を覚えるところもあった。私のよく知る太平洋とは違って凪いだ海と、自分の産まれ故郷の中山間地に少し似た「間近に迫る山々にスッポリ抱かれている」感がそうした思いを催させたのだろうか。
・長崎中華街の「江山楼」にて夕食。麺好きの娘にバッチリ嵌るかと期待したちゃんぽんと皿うどんがあんまりお気に召さなかったらしくガックリ。
・江山楼からホテルまでの帰り道、突然娘が便意を催し近くのコンビニ(ローソン)に駆け込むが、「トイレ生憎故障中」とのこと。近くのもう一つのコンビニ(セブン)を目指すが、なんとここでも「トイレ故障中」。そーいう断るための方便なのか実際そうなのか分からないが、「なんなのもう!」ときりきり舞いの嫁と、「なんで店員さんやさしくしてくれないの」と非難を口にする娘の姿が印象的だった。

Day2(長崎県佐世保市ハウステンボス)
・観光ガイドに従って見よう見まねでハウステンボスに来てみる。アホみたいな2人漕ぎ自転車をレンタルして周遊。当初はあんまり気乗りしていなかったが、この広大な敷地内をすぐ歩き疲れて抱っこおんぶをせがんでくる娘の、3歳にしてはトゥーヘビーな体重を負担させられながら周るよりははるかにマシであることが実感されてきて、しだいに気分が良くなってくる。
・漫画『ワンピース』のタイアップ企画が散見されるが、同作が始まった頃には週刊少年ジャンプを読まなくなりつつあった自分や、そもそも興味の無い嫁、そして幼すぎる娘という面子から成る我が家にとっては、何の感懐も持ち得ないものであった。
・夕食は長崎市内の魚料理を食べさせてくれる「御飯」さんで。事前にネットで予約した際メールでなにげなく福島出身のことを書いてしまったら、ご主人にとても親切にしてもらって思いがけなく被災者ならではの役得を受けてしまったことにはちょっぴり申し訳ない気持ちも覚えた。鯛めし美味し。

Day3(熊本県熊本市内→南阿蘇地獄温泉清風荘)
・レンタカーを借りて長崎市から一路熊本を目指す。娘を宥めすかすためにテキトーに買い与えた川登SAのカステラソフトクリームが存外おいしい。ザラメがざりざり。
・熊本サプライズキャラクター、まーいわゆる”ご当地ゆるキャラ”くまもんがなかなか可愛い。グッズを買い求めなかったのは今でも少し後悔。嫁がからしレンコン美味いとうるさい(帰ってきた今でも!)
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・レンタカーも今回初体験。直近のガソリンスタンドでガソリンを補充して返却するように、というのの「直近」の程度が分からなくて、ギリギリまで引っ張って給油を図ろうとしたら最寄りにスタンドを見つけられず、返却予定時間の30分前にはとうにレンタカーの営業所に着いていたのに、そこからガス満タンにして返却しおおせるまで見知らぬ街を右往左往して結局40分もかかってしまった。近くて遠いとはまさにこのこと。
・雑誌『自遊人』で知った、地獄温泉清風荘の名物すずめの湯を堪能。ポコポコとお湯が底から沸く自噴泉!ぬるめの湯は娘も入り易くて入りびたりの様子だった。夕食はフレンチコース。自炊棟もあるような開放的というか鷹揚な雰囲気の温泉宿で、精緻な味を志向するフランス料理というこの取り合わせの妙がよいのだろう。
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・嫁がついに混浴を解禁した。

Day4(九州横断鉄道→大分県別府市上人ヶ浜温泉潮騒の宿晴海)
・嫁はこの旅のあいだ中、目新しい電車が現れるたびにずっとカメラに収めている。もしや晩成タイプの鉄子さんか。
・宿泊先の潮騒の宿晴海は、ウォーターフロント・モダンスタイルという本来の自分ならまず選ばないようなところ。んでも選んだお部屋は風呂付客室で、その部屋付き風呂というのがスペース的にかなり広く、オーシャンビューというのも自分にとっては初体験だったので、夕食の関アジ姿造り含む海鮮料理も相俟って非常に満足度が高いところであった。

Day5(大分県別府市鉄輪温泉→大分空港)
・ホテルをチェックアウトしてすぐさま青いお湯で有名な、鉄輪温泉山荘神和苑へとお風呂をいただきにタクシーを走らせる。10時といういまだ宿泊客の送り出しで忙しいところに乗り付けてしまい、先方としてはいたく迷惑であったろうが、家族風呂(貸切風呂)を開放していただいて、喜ばしくも家族揃ってファンタスティックな温泉体験に浴することができた。マジで青い!絵の具でも溶いてんじゃねーかというくらい(失礼)。
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・ちょっとだけ地獄めぐりも。海地獄、これも神和苑のお風呂のように青い。山地獄、つか動物園?娘が動物への餌やりに興じるだけとなった。自動販売機で買ったJA製造のかぼすドリンクというのが激美味い。結局その後大分空港でも買ったが、いずれ箱買いお取り寄せしたい。
・帰りの飛行機のうち大分→羽田間は窓際の席だったのだが、主翼が風に吹かれてペナペナしている様子とか見ていたらだんだん気分が悪くなってきた。この飛行機不信、なんとか治らないものか。
・羽田到着から秋田行きが出るまで3時間超待ち。空港で人々がそれぞれの行く先を目指す途中刹那此処に立ち止まっている感が心地いい。と、館内アナウンスで緊急地震速報。家族三人慌ててベビールームに退避する。周囲の人はどこ吹く風。なんだか馬鹿みたいな気もするがこれが3.11以降の世界を生き方なんだと自分を納得させる。しかしあの音をあの大音声で流されるのは心臓に悪い。


避難厨Xの変心 [私]

(前略)・・曖昧だったものが次々と言葉によって確定していったわけです。これは、半分は気持ちがいいことでありました。これはこうだったのか、と、人前で話したりしなければ自分のなかでずっともやもやしていたものが、結構はっきりしてくる。それは素晴らしいことだ、と思うと同時に、恐ろしいのは、そうなってくると、近くにいた友人たちとよくよく突き合わせてみたときに、微妙に、かつ決定的に違っていたことがわかってくるわけです。そうすると、(中略)・・「あいつと俺はここが違う」とか、「え、それがいいと思っていたの?」とか、「僕はこっちの方がいいと思っていたのに」とか、「なんだ、相容れないじゃないか」というような違いがどんどん際立っていったのです。だから、(中略)・・一回しゃべるごとにまた一人友達を失っているのだな、と少し寂しい思いもします。

黒沢清、21世紀の映画を語る

黒沢清、21世紀の映画を語る

  • 作者: 黒沢清
  • 出版社/メーカー: boid
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 単行本
いきなり長々といったい何の引用か?!というとw、黒沢清監督の講演集『黒沢清、21世紀の映画を語る』における「映画について人前で語ること」の一節なのですが、この「友人たちとよくよく突き合わせてみたときに、微妙に、かつ決定的に違っていたことがわかった」という体験をごくごく最近、(映画の嗜好とかではなく)放射能リスクについての見解と態度という局面において、ほろ苦く味わったところなのであります。当然その後に続く、「一回しゃべるごとにまた一人友達を失っているのだな」という寂しい思いも共に、です。

そのことによりやはり自分はここを去るべきなのだな、どうしても根っこのところで相容れないのだなぁということを痛感いたしました。しょうじきそれまでは同じ立ち位置、同じ方向を目指していると思っていたのに、それがあることを突き詰めてやっていこうというところで、それぞれが自分の態度をきっちり示さざるを得なくなった時に、じつは全然根本的に違うことが明らかになった、というのは、ひじょうに悲しいことでありました。

でも思えば最初から決定的に違うといえばそうだったのかもしれません。それは福島に残る人からすればヒステリーだと揶揄されるような態度なのかもしれませんが(幸運にも自分の周囲には表立ってそうしたことを言う人はおりませんけれども)、やっぱり自分は”唯一人”だからこそこの福島に残ってきたわけで、この形以外到底あり得ないわけです。ただ確かに自分もまた、”自分がここに今のところ大過なく居れていること”を前提にしたイージーな考え方というものを持ってしまうことを禁じ得なくなりつつあるのです。「大気中にそれはない、屋内なら0.5程度、たった一晩じゃないか」とか。しかしそれを是としてしまうと、今度はその安易な見解を、自分の家族の処し方にまで敷衍してしまいそうな気がして「こりゃいかん!」と徹底的にそうしたものを拒絶するしかなくなるという・・例えそれが親しき友人の裡に在るものだとしても。

最近、こちらの親しい人たちにお別れの一つもくれないで秋田に発ってしまった嫁のことを、一度こちらに戻して挨拶に回れないものかと考えたり、アパートから実家に持ち込んだ荷物を処分するためにはどうしても一度嫁に戻ってもらう必要があるとか、ウチのじじばばも随分孫と顔を合わせてないから可哀想だとか、確実に悪い(といっていいかどうかは断定できないのですが)”病”に罹りつつある気がしており、このタイミングでの離脱は自分の心身どちらにとってもよいことなのかもしれません。少し離れて頭を冷やして、そうした思考が悪いビョーキなのか、それともバランスのとれた真っ当なものの見え方なのか、ちゃんとはっきりするかもしれませんしね。あぁそれにしても放射能、なんて悩ましいんだろう・・

福島と放射能、外から見るか?内から見るか? [私]

今日で8年と9ヶ月勤めてきた会社とお別れ、福島、伊達市、小国との縁はこれからも続いてゆくからそこまで万感胸に込み上げる、ということはなかったものの、よもやこーいう去り方をしようとは地震・事故以前にはまったく想像だにしていませんでした。おっさんになっても尚ここで働いているの図、というものも全然想像できなかったし、そも想像したくもなかったけれど、じゃあどのようにしてここを辞めてどのように暮らすというのか?!という展望も描けず、とにかく宝くじか何かに当たって早々にサラリー生活からリタイヤしているんだ(つーかそうしたい!)という甘美な未来予想図に耽溺するということだけはままあったのですがw、とびきりの幸運を掴む自分の姿は容易に想像できても、さすがにこうした展開は思いもつかなかった・・

でも、不動産屋さんから「明日、ホントに引っ越して来るんですか・・?」という自分たちの方が不安になるような確認の電話をもらいつつもw、確かに自分は明日から正真正銘の避難者生活を始めるわけなのです。秋田県からいまだ借り上げ決定通知は下りず(といってもまぁ既に電話して大丈夫そうだという感触は掴んでいるのですが)、アテにしている家電セット等もまったく影も見えずという状況ですが、とりあえず家族三人揃えばそれでオーライなのです。因みにそれは私にとってはジャンクフード、娘にとってはテレビ&食後のデザート断ちを目指したリハビリ生活の始まりを意味しますwまぁ体に取り込んでいるかもしれない放射性物質も追ん出してくれるなら御の字ですけれども。

それで、今考えているのは、福島の外に出た自分はどのような形で福島とそこに住む人たちと関係を結び直すべきなのか?ということです。やっぱり今までのようにはいかないと思う。とりわけ既にして逃げた人間が「逃げた方がいい」などと言ったりするのは、内に居た自分がそう言われて覚えた心境からいえば、あんまり聞く耳持ちたくないという気がしますし、逃げた人間が自分が後にした福島を極端に危険視したりするのは、なんだか自分の行動を正当化しようという気持ちが無意識に添えられているような気がして、言う方の身としてもあまりいい感じはしないのです。かといって「居た方がいい」とも断言できるわけでもなく、そうなると自ら積極的に意見や意思を表明することで、あわよくば他の人を感化させようという振る舞いはもうやめるしかないんだなぁと。

というわけで、これから目指すのは”男は背中で語る”、みたいな無言実行の姿勢なのかなぁとwそもそも自分、小国の地区内を一人黙々と歩き回って線量を記録していくという、元来はそうしたスタイルから出発したわけでして、それがいつの間にやら身の丈に合わない大言壮語を吐き散らし、地区のお母さんがたを疎開だなんだと煽動し、大した知識もないままいろんなところに首を突っ込み、振り返ってみればいかにも、”恥の多い生涯でした”、という感じで、福島を離れるこの折に、遅まきながらでもそれに気付いたならば、やっぱりこれを是正して、自分がそれを真っ当な態度だと思うならばここは原点回帰すべきなのかなと。

GCPに避難促進というバイアスを持ち込もうとした自分が今更こうした変心をするというのはどうかと思うのだけれども、これからはただただ黙って測る、私にその数値の好悪や是非は分からない、それを判断ないし決断し態度を決め行動を起こすのは貴方次第、こーいう徹底したニュートラルさを志向していきたいなぁと、今はそう考えています。或いはただただ黙って土を掘るでも良し!(除染ってことですな)、しょうじき今までノーマークだった、「放射能から美しい小国を取り戻す会」というやけにロマンチックな名前を授かって地元で勃興しつつある団体は、もしかしたら今のような思いを抱く自分にとって、バッチシ(死語?)の受け皿たりうるんではないかと、少しずつですが興味を覚えつつあったりするのです。なんてったってやるこたぁ測って、掘る、これだけなんですもの。

それから今までは当事者意識を失いたくなくって躊躇われてきたけれど、いよいよ”自称”映画作家(失笑)として、見えない「それ」をどうカメラに収めるべきか、つーか「それ」って収められるのか?という領域に、おそるおそる踏み込んでみようかなぁと。つまりはカメラを回して単に記録するだけでなく、何をか表現しようということなのですが。測る、掘るに加えて撮る、これも地元の人の顰蹙を買わない程度にトライしてみたいと思っています。さぁいよいよ明日は旅立ちだ・・

家族三人初飛行 [私]

再来週、新天地での新しい暮らしへの切り替わりのその間隙を縫って、4泊5日で九州に行ってこようと画策しております。長崎から熊本南阿蘇、大分別府という北部を横断していくような行程。黒川、湯布院は次の機会に残しといたる!(と負け惜しみを言ってみる)しっかし温泉宿でなるべくノンビリという志向で予定を組もうとすると、ほとんど外回りできなくなりますねwましてや小さい子どもがいる中ですから計画なんぞ全て絵に描いた餅となりそうな気も。


それで九州入りも初めてなんですが、何より飛行機に乗るのも初めてです。そんな自分はというと、まったく狙ったわけではないのですが最近、旅客機が南の島に墜落したところから物語がスタートする海外ドラマ『LOST』をシーズン1から鑑賞しているというwグッドタイミングというかバッドタイミングというか・・飛行機、やはり世によく言われるように離着陸時が緊迫するんですかねぇ。あとタービュランスつーのはどれくらいの確率で当たるもんなんだろうか。テロリストと間違われやしないだろうか・・飛行機内つー舞台は自分にとっては、ニューヨークと同じくらい映画の中でしか観たことのない世界なので、どうしても何かドラマチックな展開が待っているんではないか?と身構えたくなってしまうのです。

あと嫁に指摘されて気付いたのですが、以前にホールボディカウンター受けたくてしょうがなかったときに、「旅行がてら長崎にでも行って長崎大で(WBC)受けてこようかな」などと冗談めかして言っていたのですが、自分はそのことをすっかり忘れたうえでの旅行先=九州というチョイスだったものの、もしや潜在的な願望がそうさせたのかと思って我ながらゾッとしました。要するに、何をしてもどこまで行っても放射能が思考に染み付いているというか・・だってわざわざヒバクチから過去のヒバクチに行くんですからね・・

でもさすがに九州まで行ったら外部環境はもとより、食べ物のことさえほっとんど気にしないで楽しめるんではないのかなぁという期待感も高く、とりわけ地のものでも海産物、これに思う存分舌鼓を打ちたいところ。下戸なんで焼酎とか堪能するのは無理。ちなみに予定宿泊先のうち温泉宿は以下の二つ。南阿蘇地獄温泉清風荘(たしか泊食分離)、別府上人ヶ浜温泉潮騒の宿晴海(こちらはホテル、オーシャンビュー!!)でも道中において温泉的にこれ入ってみたいというのは別府鉄輪温泉山荘神和苑の”限りなくブルーに近いブルー”な青の湯!!写真見ると絵の具溶いてんでねーのこれ?っていう色合いなんですが、ぜひ実物を拝んでみたい・・

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