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何となく社内にも [地震と原発]

復興ムードみたいなものが形成されつつあるのだけれど、被害の比較的少ない我々のような者がいっぱしの被災者ぶって「瓦礫の中から立ち上がろうぞ!」的なノリに陶酔していくというのはどうも気が引けてならない。とはいえウチの病院はけっこう壊れた。時折思い出したように書いている地震当日の話の続きに戻るが、自分の勤める本部事務所は中はしっちゃかめっちゃかになったものの、施設自体に被害はあまりなかった。外の駐車場に避難に出てきた際も辺りを見回してみれば民家の瓦が落ちている程度で、少々拍子抜けしたぐらいであったものの、いざ連絡のとれない病院を確認しに車で赴いてみたところ、初めて今回の地震の重大さを思い知らされたのであった。

こんな感じに・・
SN3I0172.jpg
こんな感じ。
SN3I0173.jpg

病院の顔たる正面の大ホールがこんな(1枚目)のようなひどい有様に・・ちなみにここ、公共バスの巡回先になっていて停留所も目の前にあり、地震後ずっとこの惨状が乗客にダダ見えになっていたのだそうだ。震災被害の顕著な例として、ちょっとした観光名所になっていたのかもしれぬ。

話は戻って地震の当夜、病棟の上二階が使用不可能なほど損傷したうえに余震の危険もあったものだから、入院患者様を一時的に避難場所(中学校の体育館)に移送する作業が始まった。自分はその作業に途中から加わったが、エレベーターの使えない中、上階から重い機器備品や患者様を降ろすのはかなりの難業であったろう。
社用車をフル出動させ、運送会社のトラックにも連ねて来てもらい、混沌とした雰囲気の中次々と患者様と寝具やら医療材料やらを詰め込んで体育館へと送り出していく。その間も余震が時折起こっては、この避難作業の仮拠点となっている農協の共選所を揺らし、そのバシャバシャという音にみんな身を強張らせる。やがては無情にも雪がハラハラと降り出し、初春というよりは冬の冷気が着の身着のままで出てきた職員や患者様を苛んでゆく。恐怖や不安に裏打ちされた異様なテンションだけを頼みに、誰も経験したことのないであろうこの一大移送作業は疲労や混乱を伴いながらも何とか進められていき、ようやく完了に漕ぎ着けたのは夜10時を回ってからであった。

自分はそれからアパートに戻り、暗がりの中でその室内の荒れ果てようにドッと疲労感を催し、せめてパソコン(というか保存されている写真)だけでも持っていこうと奥への進入を試みるが、これまで大事にして持っていた自分らのCDやら本やらが、渾然一体となって山を成し自分を阻んでおり、持ち主に対して持ち物が牙向くようなこの状況にだんだん怒りを覚え、エイヤと踏み越えていこうとすれば、足元で大事にしていたCDがパリッパリッと割れる音がするのでたいそう忍びない気持ちになり、それでも頑張って必要最小限のものだけを持ち出して、やっとこ帰途へとつけたのであった。

いつも通っていた橋は地震により損傷部分があるらしく通行止めになっており、そのための渋滞なのかと思って大人しく並んでいたら、実はガソリンスタンドの行列と知らずに巻き込まれていたようで、しばらく経ってから気付いて抜け出して、それから急いで車を走らせて、実家に着いたはもう日が変わる前。嫁と娘にようやく会えてホッとするが安堵のあまりに涙でも出るかと思ったら、疲労と相変わらず余韻の残るハイテンションの方が勝っていたようで、地に足が着いてないようなフワフワとした思いにカッカと火照る体を抱えながら、早々に眠りについたのであった。思い出すとホントにとんでもない、異常な1日だった。
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