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「風評でなく実害(キリッ」が流行語大賞とかにならなくてホントよかった [地震と原発]

いやこんなもん当然ノミネートすらされるわけないんだけれどもw、一時期自分の視界と聞こえる限りの其処此処で、そうのたまっている人がたっくさん居たことをふと思い出し、かつてはそれを見聞きしながら色々思うことがあったのだけれどもチキンな自分はこれまで書けず仕舞いで、本ブログのゴールラインもだんだん見えてきたことから、"書き逃げ"とばかりに今更ながらにこれについて考えてみる。既にどこかの誰かが同じようなことを原発事故以来何度となく述べてきていることかもしれないので、剽窃したようにモロ被りな内容になってしまったらご容赦願いたい。

「風評被害」とは「事実でないことが噂や話題に上ることによって被るべきでない害を被る」ということだと思うのだが、風評被害だ!→いやそれ実害だから、というやり取りにおいて問題になっている「事実でないこと/事実であること」というのは一体何であるのか、まずはそれについて考えてみる。

①原発事故の影響の有無:言い換えるならば今回の原子力災害で被災したか否かが争点であるということ。これについてはセシウム汚染状況調査など科学的データが出揃いつつある中で、かなり広い地域において影響が確認されている以上は、これを「事実でない」と主張するのは難しいような気がするから、これを「事実である=実害である」とする方に軍配を上げたい。

②放射性物質や放射線の安全性:たぶん「風評被害でなく実害(キリッ」が用いられる時に主に取り沙汰されているのはこれなのだと思う。このことについては「長期的低線量被曝の影響はよく分からない」という靄の中で、原発推進派と反対派の学者がそれぞれの肩を持ったような物言いをしているような状況においては、「安全でない」という言説に対して「事実でない→だから風評被害だ!」が正しいのか、「事実である→だから実害だ!」が正しいのか、簡単には判定しかねるところがあるのだが、ただ今中センセの言うように双方から見ても一番タフな理論がしきい値無し直線仮説であるならば、やはり「安全か安全でないかを明確に分ける閾は存在しない」わけで、そうすると原発事故の影響が多少なるとも在るならば、それに応じてリスクが在るということになるから、これを「実害である」とする主張には分があるように思える。

③安心か安心でないかの問題:それを安心と思えるか思えないかについては個々人によって分かれるところがあり、すなわち人それぞれの心の裡に「私はそれを安心と思えない、ゆえにそれは安心ではない」というそれぞれにとっての事実が存在することになるから、ある人にとってそれは「事実でない」し、ある人にとってそれは「事実である」わけで、風評か実害かというやり取りはどこまで行っても水掛け論にしかならない。

以上のことから私は基本的に「風評でなく実害(キリッ」という言葉には賛同しないでもないのだが、ただこの言葉を用いたとき、「実害」というたった一語で表されることによって被曝リスクというものの評価が過大に押し上げられたり、聞く人にとって誇張されて聞こえる向きがある(無量化されてしまう)ということには留意するべきと思っており、正しい評価が話を大きくして曲げて喧伝されたことによって害を被ることがあるならそれは紛うことなき「風評被害」であろうと思うから、「風評被害」を否定しようとすることによってかえって「風評被害」をもたらすかもしれないことには注意すべきであろうと思うのである。

とはいえ「風評でなく実害(キリッ」というのは売り言葉に買い言葉的な性質のものであって、誰かが「風評」だと言う時そこには被災や汚染やリスクの存在を無かったように思わせるような、事実を否定するような響きが在るように感じられたからこそ、「いやいや実害だから」と反発を招いたわけなのであり、「風評」という一語にも「実害」と同じような(だが反対の)作用があるということはこの話題の前提として意識しておくべきであろうと思う。

まー世の中的にはいろいろなレベルにおいて事実を事実として認めて(原発事故の影響がある、LNT仮説、ゼロでないと安心できない人が世に数多いる)、売り手と買い手ともにその事実から目を背けずやっていこうという流れが出来つつあるので、今となっては以上のような話は必ずしも有意なことではないと思うのだが、書かずにブログを閉じるのも不本意なので、(ブログ)卒業記念ということでw

そうか、今日はあれから9ヶ月目なのか [地震と原発]

Facebookの知人がそう書いているのを見るまでまったく意識に上っていなかった。自分が蒙ったあれに関する被害の殆どは、33年余ずっと住み続けてきた故郷から遠く離れた場所で暮らさざるを得ない現況からいえば、やはり地震や津波というよりは原発に起因するところ大なのであり、確かに事故があの日に起こったのは間違いないのだろうけれど、自分はともかく世の多くの人が「前からあれほど言っていたのに」と残念がっている様子からすると、必ずしも今回の原発事故の起点をあの日に求めるのは正しくないような気もしていて、そんな自分はだからこそあの日付にあんまり頓着していないのかもしれない。

ただ、今回はほぼ難を逃れたとしても次がどうなるかは分からないと常々思っていて、とりわけ小さい地震もほとんど無いこの秋田に居るからこそ、余計に警戒心を保たねばならないと日々肝に銘じているところがあり、それの発露として今自分が取り組んでいるのが、今更ながら非常時持出セットの準備だったりするのである。最初はネットで売られているような出来合いのものを買って用意しとけばいいよねと、かなり安易に考えていたのであるが、いろいろ調べていくと自分に対して重要な問いが投げかけられてくるように思えてきたのであり、その問いとは、「そもそもお前は一体どれくらいの災害規模とどれくらいの自分たちの被災状況を想定しているのか?」ということなのである。

例えばライフラインが断たれたなかでも一応自宅内で滞在可能のような状況下であれば、災害当初時点ではそのまま住めるかどうか素人では判断がつきかねるからまったく不要だとは言わないものの、持ち出す内容よりも自宅内への備蓄等の備えに注力した方がベターなわけだし、自宅に住めないのはおろか屋根さえないような完全野外で寝泊まりせざるを得ないようなひどい状況であれば、テント一張も持って行くようなかなりの重装備を考えねばならないわけで、そうやって逆行して考えてゆくと、そうか自分がぼんやりと考えている非常持ち出し物から想定されうるシチュエーションというのは、自宅から離れて避難所や車中泊せざるを得ないようなレベルの被災状況なのだなぁ、ということに初めて思い至るのである。

いったんそれが分かれば、ある程度何が必要なのかということも見当がついてくる。やっとこさ装備を揃える作業のスピードにも調子がついてくる。まだ全てを用意し切っているわけではないが、セット内容の大いなる参考とさせてもらっているのが、アウトドアメーカー、モンベルのエマージェンシーセット群の各構成と、店スタッフが阪神大震災経験者でその意見を反映して作られたという地震防災ネットさんの40点防災セットの内容。だんだん手段そのものが目的化してきて、あれやこれやグッズを物色するのが楽しくなってきている嫌いもないではないがw、こーいうもののジンクスとして、警戒してあくせくそれに備えているうちは地震なんてもんは起きないものであろうから、逆説的ではあるが、なるべくじっくり時間をかけていろいろ取り揃えていきたいと考えている。

防災セット@モンベルオンラインショップ

非常避難袋「安心40点防災セット」@被災者運営の地震防災ネット

焼け太り防止策も練りつつ・・ [地震と原発]

東電3-8月期(第1回目)にかかる賠償請求ですが、いったん追加請求があったため差し戻していたものが金曜日に返ってきて、要求額どおりの回答を得られたので合意書を書いてとっとと送ってしまいました。まだそこまでお金が大変とかいうこともないけれど、今回の原子力災害における賠償請求そのものの在り方を問うて戦うとか、更なる条件闘争のために抵抗するとか、残念ながらそこまでの気概もないわけで、というのも特定避難勧奨地点というやつは居たまんまでも(賠償)貰えるし、避難したっていつでも好きなときに戻って行き来できるわけで、現時点では賠償というものにあんまり重みがない、というのが正直なところなのです(たぶん他のみんなもそうだと思うが)。

今回の要求においてそれが通ったことにより発見したのは、中間指針に関するQ&A集(http://p.tl/zqRJ)の問23、

Q:避難指示等を受ける前に自主的に避難を行った場合でも賠償を受けられるのか。 
A:避難指示等の対象区域に住居のある方について、事故発生後であれば、避難指示等を受ける前に自主的に避難した場合であっても、これを賠償の対象から除外すべき合理的な理由はないことから、事故発生後の避難費用等は賠償の対象となるとされています。

これがまさしくそうであったこと。すなわち特定避難勧奨地点指定以前時点における避難費用や家財道具移動費用、一時立入費用が認定されるということです。一方東電側で否認しているのが避難指示等以前時点での自主的避難期間中における精神的損害。初版の賠償請求書では避難指示等区分ごとに精神的損害請求について記載するページが異なっていて、原則避難指示等以前時点については請求できない様式になっており、世間から批判を被って以降のリニューアル版ではもはや金額を書くところすら無いというw「『避難生活等による精神的損害』を請求します」、という項目にレ点を入れるだけで、金額については「弊社にて計算させていただきます」となっているのです。

東電にはこのことについて(第2回目の請求書が来る前に)電話で問い合わせてみたのですが、「上席に確認とったが『自主的避難との線引きができないから(ダメ)』」ということで、それで納得できないならば第2回目の請求時に追加請求なさってくださいと言われたのですが、届いて見てみたら上記のような(こちらでは金額を書けない)様式になっており、追加請求なんてできなかったという次第なのです。

自分が引っ掛かっているのは、金額というよりかは、再び中間指針に関するQ&A集の問55、

Q:特定避難勧奨地点から避難した住民に係る精神的損害の起算点はいつか。
A:中間指針では、特定避難勧奨地点から避難した者については、 当該者が実際に避難した日を損害発生の始期とするとされています。

こう書いてあるのに何でそれに従わず「地点指定日を以て起算日」と成したのか、それがどうにも腑に落ちないといいますか、もちろんジャンジャン緩和的にやってくれるのはいいのですけれども、中間指針に書いてあることがこうもあっさり反故になっているというのは(指針だから絶対強制性は無いのかもしれないけれども)、かすかに不安を覚えるところでもありまして、他の部分でもこうしたことが起こらぬよう、みんな突っ込むべきところは突っ込むべきだろうと考えるわけであります。

とまれ、第2回請求書も必要書類が揃えば後は提出するだけ。金額に目処がつけばそれをどこにどれくらい寄付するか考え中です。生活費や必要経費を差し引いても、たぶんいくらか残ると思うんですがね。

自主的避難等対象区域設定の反響 [地震と原発]

東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針追補(自主的避難等に係る損害について)

中間指針追補に関するQ&A集

今回の設定により対象となる人がわんさかいるわけですが、「いまいちよく分からん」という人も多々いらっしゃるでしょうから想定問答集の方は読んでおいて損はないように思います。とりわけ6月になってから設定開始された特定避難勧奨地点の人(自分もそうですが)とか、やたらと想定例として挙げられておりますので必読かも。

ただ東電がトクヒカンへの賠償するに当たり、個人情報保護の壁から、誰がいつ避難したか或いは避難してないのか確認できていないからこそ、「指定日以降逃げていようがいまいが全員賠償する」としているわけで、そのことと今回の中間指針追補の提示する賠償内容とはどう折り合いがつけられるのかなぁと興味津々。とりあえず指定日以前の3〜5月分を新たに賠償するというのは間違いないでしょうし、ここで大人に対する8万円と妊婦子供に対する(ザックリ月割り計算するとするならば)12万円というのはカタが付くわけなのですが、指定日以降の妊婦子供に対しては①自主的避難等対象区域内(同じ伊達市内とか)に避難した、②自主的避難対象区域外(福島県外とか)に避難した、③そのまま留まったと3パターンが考えられ、賠償金額も変わってきそうなのですが「いつ避難したか、或いは避難したかしていないのか」も把握できていないのにどうなるのかなぁと。東電への賠償請求書を一度でも提出していれば、そこに滞在場所(避難)の時系列的経緯を記す必要があるので、相手に手の内はバレてるっちゃあバレてるのですが。

しかし「対象者」の定義が本件事故発生時、すなわち3月11日時点で自主的避難等対象区域か避難指示等対象区域に住居があった者となっているわけですが、これを住民票ベースで住居があったか否かみなすとするならば、私の場合避難指示等対象区域(伊達市の特定避難勧奨地点)でなく、自主的避難等対象区域(福島市)ということになるのですが、そうなるとまた賠償内容が変わってくるのかなぁなどとも思ったり。深く考えていくと自分も何だかよく分からなくなってきますw

それでこの話をさっそく、福島に今も留まる人たちにちょっと水を向けてみたわけなのですが、みなさん一様に気にされているのが「12月までで終わりなの?」ということ。中間指針追補においては「1月以降は今後検討」とされており、一応含みを持たせてある感もあるし、今回の(妊婦子供の)対象期間が12月末までというのも、なんだかキリが悪い(もともと事故発生後半年か1年かで議論してた感じだったので)というかひとまず区切った、という雰囲気があるので、「これで終わりじゃないかも?」という私見を述べさせていただいたのですが、一応今月は原発事故収束工程表におけるステップ2完了月という節目ではあるので、これで渡しっ切りもあり得るかもなぁと、今は思い始めております。

自主的避難等賠償にかかる中間指針追補がいよいよ出るか [地震と原発]

原発賠償 新たに23市町村も

東京電力福島第一原子力発電所の事故の賠償について、国の審査会は、避難区域に近いなど一定の条件を満たす、福島市や郡山市など福島県内の23の市町村の全部または一部の地域を、新たに事故による精神的な損害の対象と認め、自主的に避難したか、自宅にとどまったかにかかわらず、子どもや妊婦の場合、賠償額を40万円とする新たな指針を決めました。

福島第一原発の事故では、避難区域以外で自主的に避難した人については、これまで賠償の対象となっていませんでしたが、国の審査会は、条件を定めて賠償を認める方針を決め、対象区域や賠償額など大詰めの議論を行ってきました。その結果、6日の会合で、原発からの距離や避難区域との近さ、放射線量の値などを総合的に検討し、福島市や郡山市など福島県内の23の市町村の全部、または一部について、自主的に避難したか、自宅にとどまったかにかかわらず、同じ金額の賠償を認める新たな指針を決めました。賠償の期間と金額は、特に不安が大きいとされる18歳以下の子どもと妊婦については、事故発生の3月11日から今月末までの9か月余りを対象に、期間全体で40万円、それ以外の大人については事故発生当初を対象に8万円としました。これについて指針では、自主避難した人には避難先での生活費の増加や、正常な日常生活を阻害された精神的苦痛などがあるが、残った人にも不安の継続があるなどとして、同じ額とするのが公平だとしました。また、避難区域から避難したためすでに賠償が認められている子どもや妊婦のうち、福島市など23市町村に避難している人は、質の異なる精神的損害を別に受けているとして、その分についても賠償すべきだとしています。自主的に避難した人の賠償は、ことし8月にまとまった中間指針には対象として盛り込まれませんでしたが、福島県などが賠償を認めるよう東京電力や政府に繰り返し要望していました。新たな指針の決定によって、福島県の人口の4分の3に当たるおよそ150万人が賠償の対象となり、追加される賠償額は、少なくとも1896億円に上ると試算されています。今回、賠償が認められたのは、福島県内の自治体に限られ、原発からの距離が比較的近い宮城県や、放射線量が周囲より高い場所がある、茨城県や千葉県などの自治体については、対象になりませんでした。今回対象とならなった地域の住民については、賠償の道が閉ざされるわけではありませんが、賠償を受けるには、東京電力と個別に交渉しなければならず、難航が予想されます。

今回、新たに賠償の対象として認められたのは、次の福島県内の23の市町村の全部、または一部の地域です。全域が認められたのは、▽福島市、▽二本松市、▽伊達市、▽本宮市、▽桑折町、▽国見町、▽大玉村、▽郡山市、▽須賀川市、▽鏡石町、▽天栄村、▽石川町、▽玉川村、▽平田村、▽浅川町、▽古殿町、▽三春町、▽小野町、▽相馬市、▽新地町です。また、▽いわき市、▽田村市、▽川俣町の3市町は、すでに緊急時避難準備区域について賠償が認められているため、それ以外の一部の地域となっています。

こーいうのが出るとまずは自分とこの計算をしてしまうのが悲しい性分というか貧乏根性・・大人は震災当初に当該市町村にいれば対象だろうから、8×2=16万円、子供は対象期間中ずっと自主避難or当該区域滞在で満額となると、6月以降は政府の避難指示等による避難とみなされるならば、40×3/10=12万円、合計28万円・・しかしこれで傍聴者から怒号が上がったというが、もしかすると実際に避難した人への戸別実費賠償は無しということになったのだろうか。妊婦や子供への金額が大人に比して多いことから、その意図は「実際に避難したのは子供や妊婦のいるところであろうから、これくらい倍額してやれば実費精算に代えられるだろう」ということなのかもしれない。それで非難囂々という。

政府の避難指示等により避難を余儀なくされた人たちへの賠償額だって現状さして多くないのだから、金額的にこれで文句言うべきなのか自分はしょうじき迷うところである(というか世で求められていたのは「避難する権利」というやつではなかったろうか。ひとまず今回対象とされた市町村は、公的に「自主避難しても合理性がある」と認められたわけであろうが)。ただやっぱり避難区域からの避難者と足並み揃える形での避難費用の賠償は当然あって然るべきだと思う。それでも二重生活による往復交通費とかについては、各家庭によってバラツキがあるだろうし、経済的余裕がなかったために行き来できなかった人が賠償されないというのではどうかと思うから、そこはどーいう方法で賠償するべきなのだろうかとも思う。

外部からの視点を伴いつつの帰福のこと [地震と原発]

この土日に福島に帰ってきました。こちら(秋田)で福島からの避難者を取材されている新聞社のかたも合流しての二日間となりましたが、震災後初めて福島の放射能汚染地に入ったそのかたが傍らにいることによって、自分が気付かされることも多々あった次第です。

そのかたにとっては計画的避難区域設定により全村避難になっている飯舘村や、津波被災の爪痕がおびただしく残る南相馬市と違って、郡山市や福島市、そして自分の地元たる伊達市の辺りを巡るだけでは、「何も起きていないし至ってフツー」の光景が目に映るだけであったろうと思います。地元民である自分にとってもそれはそうで、だからこそ「何か様子が違って見えるところはありますか?」と問われても、容易には答えられなかったりするわけであり、確かに小国地区なんかではどこでも除染が始まっていてそれは自分にとっては目を引くことであるのですが、ぱっと見それってただの土木工事と違いはなくw、たぶんその様子を眺めたときに自分の胸に去来している、再生のためには欠かせぬこととはいえ、ふるさとの大地が未知の作業と実験によってズタボロにされていくような感傷というものは、きっと共有できないし共感されないのだろうなぁということを思ったのでした。

そうなんです、待望の除染が本格的に開始されているというのに、さっぱり"復興ムード"というものを覚えないんですよね。なんでだろう、まだ避難したい人たちの思いが完全に消化されていないからなのか、今のところ除染が成功するという確証が得られていないからなのか、成功するかもしれないがそれまでには余りに長くて遠い道のりが待っていることが既に分かっているからなのか、自分でもそこのところがよく分かりません。


それから新聞社のかたにはウチのおかんも取材していただいたのですが、親子で面と向かって喋らないことを傍らで聞き、「そんなことを思っていたのか?!」とはじめて知るようなこともあって、これはとてもよい機会となりました。まず老いたりとはいえ(?)、やっぱり原発事故由来の放射性物質を含んだ食品を口にするのがイヤなんだなぁとwご近所から貰ったり出されたりするものを表面上は快く受け取りつつも、食べるかどうか毎回思い悩んでいるのだということは、しょうじき初耳でした。

先月のことですが、ウチの実家で親戚(桑折町)から購入していた米を検査してもらったら約20Bq/kg(玄米、セシウム合計)という結果が出て、その後秋田の実家の方に「米を譲って欲しい」という打診をしてきたときには、「あれもしかして気にしてるのか」とは一瞬思ったものの、「20くらいなら精米すれば全然大丈夫でしょ」と他人事のように意に介さなかったのですが、やはり毎度食べるものから"それ"が出る、ということはそれなりにインパクトのある事件であったようですし、例の出荷停止に至る高汚染米の検出はその後も件数を増やしながら続いているようで、今も事態はリアルタイムで進行中、避難せずそこに留まる人々の神経をよりすり減らしていくのかもしれません。


その汚染米のこと、地元のかたと話したら、「この辺では米作ってても商売用に出荷せず、自家消費するか親戚筋に個別販売してたりするから、出荷停止されても賠償の恩恵に浴することはあまりないのではないか」と聞きまして、なるほどぉと思っていたのですが、ウチのおかんが取材中に言うには「否」と。むしろ例年なら出荷していなくても今年は出荷しているという家がけっこうあるんだと。何故ならば「自分たちではそれを食べたくないから」。

出荷して得たお金で他所の米を買って食べるんだと。それを聞いて何とも言えない気持ちにになりました。擁護したい部分もあるし、除染においても立ち表れる「自分が安心な生活をするために他の人の生活の安心を脅かすことになる」というジレンマがここにも通底していることを痛いほど思い知らされるような感じもしました。今年の米は売れない、食べられないということを観念して早いうちに作付けを断念した人もいるなかで、自己防衛からやむを得ないとはいえこのように上手く立ち回っている人もいるということ、なかには「放射能なんて何でもないんだ」と胸を張って自分の作ったものを世に出している人もいるかもしれませんし、放射能への態度というものは同じ所に住んでいる人でもきっと千差万別なのだよなぁと、思った次第です。

ちなみに最初に小国地区で検出された高汚染米の一つは同地区でも相対的に高線量のところから出たのではなく、高汚染米問題の嚆矢となった福島市大波地区に至近のところから出たものだそうで、これを「大波と地勢や土質が似ているから出た」と考えるべきなのか、「小国地区の線量の低いところでも出るんだから高いところにおいては言わずもがな」と考えるべきなのか、非常に悩ましいです。


最後に今回の帰福の際にゲットしたお土産のこと。
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放射能から美しい小国を取り戻す会による独自の線量調査マップが大紙面にカラー印刷という立派な形で配布されてきていました。あの大変だった測定作業により一層の達成感を覚えます。自分が夏前に作ったマップや行政作成マップと同じ様相を呈しております。それにしたってどこまで行っても(線量が)高い高い。

もう一つは愛チカラさんがまとめた今夏のキャンプを始めとした活動の報告冊子。自分はキャンプの全容を知らずちょっと垣間見た程度の人間なので、知っているエピソードもあれば知らないエピソードもあり、とても楽しく、感動を覚えつつ、そして懐かしく拝読させていただきました。今回自分が福島に帰った期間中もちょうどまた愛チカラさんが伊達市に来ていて(ホント頭が下がるわ)、冬のキャンプの説明会など準備を進めているところでした。ちょっとだけ顔出ししたら、夏のときには見なかったお母さんがたも見えていて、点が線になるだけでなく、輪が広がりつつあることを確認できて、非常に感激した次第です。ホントは自分も家族郎党引き連れて参加したかったのですが・・諸事情により断念。


余談ですがわたくしごとの報告・・就職決まりました。いよいよここ秋田に根を張り暮らすことの覚悟を決めるときが来ましたです。

まだまだ迷い悩んでいる人はいっぱいいるのに [地震と原発]

県、受け入れ停止要請 民間賃貸住宅借り上げ制度 都道府県に
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=9912147&newsMode=article

福島県の裏の思惑について勘ぐってみるとか、受け入れ停止要請の根拠となる原発現地の状況定義について疑義を呈するというのはさておき、とにかく今も「これから避難したい」と考えている人が確実にいる中で、その意気を削ぐようなこうした動きがあるというのは、心情的な感想としてはやはり残念なことに思う(公営住宅では受け入れが続行するので完全に門を閉ざそうというような話ではないのだが)。

だけど自分自身、実はごくごく最近まで「これから本気で避難しようとしている人が実際にいる」ということに確信が持てないでいたのであり、確かに水を向ければ「避難できればしたいんだけどねぇ」という言葉が返ってくることは今でも多いのであるが、それでも口ではそう言っていても殆どの人が、ここに留まり踏ん張ることを覚悟する域に入ってきていることが察知されるような感じがここ数ヶ月間は大いにしていて、だからこそ自分においても以前のような避難を呼びかけるような声はすっかり声を潜めていたのだけれども、そうした人々の醸すメジャーな雰囲気や、除染除染の大合唱に紛れて(少なくとも自分には)見えていなかった「これから本気で避難することを考えている人」たちの存在をようやく認めたとき、自分の目は曇っていたのだなぁということを痛感し反省するところ大であったのだった。

上記リンク記事中の、福島県から多数の避難者を受け入れている新潟県のかたのコメントにあるような、年度明けや年度切り替わりのタイミングで区切りよく避難を考えている人もいるのだろうし、各家庭ごとに丁度良い区切りというものを挙げ出したら、子供の学校卒業やお父さんの仕事の絡みなどいくらでもそれぞれに踏み切りたい時機があるのだろうし、誰もがいつでもそうした自分のタイミングで踏み出せるよう、扉は大きく開いていて欲しいと思うし、県が言うような、緊急避難のフェイズは終わったのだから(もうそこまで避難の枠を設けていなくてもいいでしょ)、というのも少しは分からなくはないけれど、だったらせめて避難から移住支援に形を変えてでもいいから、同様の措置を存続させていただきたいとも思う。移住であれば、他県にとっては県人口増の好機と捉えられるわけで、福島県が打ち切り養成しても、国が金銭的補助をしなくっても、それでも受け入れに動いてくれる都道府県はありそうな気がするのだけど。

これで終わり?それとも「終わりの始まり」・・? [地震と原発]

米の出荷制限等について   
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/suiden_shukkaseigen1129.pdf

そうか、安全宣言以降の高汚染米問題の発端となった福島市大波地区は、我が伊達市霊山町小国地区と同じ「旧小国村」なのか、そうか・・そりゃウチでも(高汚染米が出て)当然・・とは思っていなかったのが正直なところです。伊達市では市民による食品汚染測定も活発に行なわれていたし、それでこれまで引っ掛かるものが無かった(あったけど大っぴらにならなかった、ではないことを願います)のだから、もしかしたら上手いこと難を逃れたのかも、と淡い期待もなくはなかったのです。でもやっぱり出てしまいました。一部もち米が市場流通してしまったということですが、あの農協の脇の直売所「かぼちゃ」であれば地元民が買ったか地元民が買って身内に送ったか、その辺りだと思いますので、回収されてこと無きを得るのではないかと思います。というわけで「市場流通」の四文字だけ見てまずはあんまりヒステリックな拒否反応を示さぬように、危険厨のみなさん。

前エントリーのコメント欄にも書きましたが、非営農家ながら一応地元民である自分からのモノの見え方として言えば、地元の誰もが早晩こんなことにはなるだろう、と思いつつも、「まずは作らねば賠償さえもされない」ということからおそるおそる米作りに着手していったのだろうと思います。土壌検査が積極的に行なわれて、5,000Bq/kgという作付け制限基準に引っ掛けられて、途中で仕舞いになるのだろうと思っていたら、それは遅々として進まず、ようやく出て来たら出て来たで作付け制限の設けられていない畑において問題のある数値が出るのみであり、「ホントに大丈夫なのかよ」という住民の不安をよそに公的には「そのまま米を作ってよろしい」というまま時が流れていきました。

特定避難勧奨地点指定というイベントも「計画的避難区域のような作付け制限が敷かれるのかも」と、懸念を抱えながら進みつつあるそのことを止めてくれる期待を抱かせるような待望のタイミングではありました。でも特定避難勧奨地点は住居を対象に指定するものであり、「年柄年中そこに居ない方が良い"かも"」というように軽く注意を促すような性質のものであります。ゆえに産業活動はなんら制限されていなく、そもそも田畑は特定避難勧奨地点というホットスポットとして指定されることからすら外れているわけですから、不指定の人はそのまま米作りを続行しましたし、指定を受けて例え避難したとしても、昼日中戻ってきて田んぼをいじることが出来たわけです。

二本松市小浜地区の一件はあったものの、全県的に順調に予備検査・本検査をクリアしていき、「あれ?もしかしたら案外大丈夫なのかも?」などとガードを下げようとしたところに、大波地区から始まって今に至る事態です。住民のかたがたの「せっかくここまで作ってきたのに」という落胆はそりゃ大きいのでしょうが、「ほれみろやっぱり」という思いも少なからずあるのではないかと思います。小国地区ほか出荷制限のくだされた地区については今後、速やかかつ適正に補償がなされることを望むところですが、他の地域での検査のゆくえもとにかく気になります。いったい、どこまでちゃんとやるのだろうか?と。何となく、ホットスポットとして話題になった地区だけでこの問題が収束すれば、おさまりがいいよね、的な雰囲気をそこはかとなく感じもするのですがどうでしょうか。

自主的避難者等への賠償の進展に思うこと [地震と原発]

自主避難賠償 子どもなど増額
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111125/t10014210051000.html

原発事故:自宅滞在も賠償…自主避難と同額 紛争審方針
http://mainichi.jp/select/today/news/20111126k0000m010071000c.html?inb=Rae

今回のみならず前回以前までの討議事項含めて、今のところ決まり始めている項目を箇条書きすると以下のような感じでしょうか。
  • 避難始期を事故当初と一定期間経過後とに区別して対応を分けるのをやめた
  • これの賠償にあたっては対象区域を(恐らく市町村等単位)で設ける
  • 自主的避難した者のみならずそのまま滞在した者にも等しく精神的苦痛があったからこれを同額賠償する
  • 放射線被曝に不安のより大きいと思われる子供や妊婦については賠償額を加算する
  • 精神的損害賠償については期間(半年or一年)を定めてその通算額を認める(月いくらではなく)
  • 自主避難した者にかかる避難費用等は精神的損害とは別個に賠償する
ぱっと見ウチの県知事が言っているような「福島県民全員賠償」のようなスキームなのかという印象を持ったのですが、けっきょく区域設定するんですよねぇこれって。これをどれくらい広範に渡って設けるか(或いは設けないのか)、そこがキモとなりそうな気がします。もっと言ってしまうと、人口の多いいわき市や福島市や郡山市まで含めるかどうかってことなんですが。前回までの議事録しか読めてないですが、何となく「避難指示等区域の敷かれている市町村及び周辺地域」という条件で設定されそうな雰囲気はありますけどどうなんでしょう。

それにしても滞在者を同額賠償するとかって結局、「誰がいつ避難したかとか実際に避難したかどうかなんて分からない」からそうするしかないのだろうなぁと思いますし、避難費用を別個に賠償するとしたってやっぱり「避難したかどうかなんて分からない」わけですし、それを証明する書類を添付せよなどとしたら当然非難囂々なわけですから、あんまり意味ないような気がします。つーかもし対象区域とされたなら、みんなで実際避難したか否かにかかわらず「沖縄までいったん避難しました、領収書なんてとってないよ」って言って貰えるだけ貰ったらいいと思うんですがねw

ちなみに警戒区域等から周辺地域に避難させられた人たちは、今回のこれによって上乗せで更なる賠償を求めることが出来るんではないかと思うのですが(避難した先で自主的避難等対象区域における滞在者になったということ)、これで「避難指示によって更なる高線量地域に身を置かせられたこと」の償いが多少はしてもらえるのかなぁという気がいたします。紛争審査会の委員の中には特定避難勧奨地点設定地域における、コミュニティの崩壊について言及していらっしゃるかたもいるようなので、是非とも指定者/非指定者のギャップを少しでも埋めるべく、自分の地元においてはこの自主避難賠償スキームに組み入れていただきたいと思います。

待望の特定避難勧奨地点追加指定 [地震と原発]

伊達、南相馬の37世帯追加=避難勧奨地点で政府―福島
http://news.livedoor.com/article/detail/6061121/

特定避難勧奨地点:37世帯を追加指定…福島の2市
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111126k0000m040083000c.html

純然たる線量基準超過地点が9つで残りは妊婦・子供配慮枠のようです。一応これまでの指定方法を踏襲した模様でそれは良かったのですが、そもそも指定の絶対数が少ないといえば少ないので諸手を挙げて喜ぶべきかというと・・伊達市はこれまで旧霊山町内だけに避難等指示区域を抱えておりましたが、旧保原町内にそれが初めて及ぶ格好であり、くだんの富沢地区は米のセシウム検出問題に揺れる福島市大波地区に隣接している地域です(自分とこ、霊山町小国地区もそうだけど)。

東電の精神的苦痛に対する損害賠償額が9月以降の分も引き上げになったところ(http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/111125/cpb1111250504006-n1.htm)であり、もちろん自分も新生活への支えが増えてホッとしているわけなのですが、今回追加指定になった人たちに対しても多少の追い風になるだろうという思いでこの報道を眺めておりましたが、以前のエントリーで申したように、11月から賠償対象とするでなく、せめて何とか今回指定の根拠となる事前調査時点以降を対象としてもらえないものかと考える次第です。7月からなら初回指定世帯と一ヶ月しか差がなくなるわけですし。

と、別件の話になりますが徐々に自主的避難者に対する賠償への指針も整いつつあるようで、それが避難者だけでなく留まった者へも等しく行なう、という方向をとりつつあるようですから、この特定避難勧奨地点指定以前の時点への補償というものも、もしかするとそれによって補われ得るかもしれませんが、その話はまたエントリーを変えて。

ちなみに私が東電からいったん受け取った3月から8月分の賠償請求結果においてですが、妻子が3月時点で避難した際の費用というものは(特定避難勧奨地点以前時点のことですが)フツーに通っておったのです。精神的苦痛への賠償については、特定避難勧奨地点対象者記入欄が6月からしか記載できないような様式になっているので悔しくも不請求状態なのですが、とにかく現状でも避難等指示区域対象者の指示以前の自主的避難については、東電は賠償することを認めていると思われます。
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