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みんなフツーでちょっと怖い [地震と原発]

ここ福島県中通りの県北地方、福島市と伊達市においては、ガソリンが行き渡り始めたせいか過ごしやすい日和となったこの週末、みんな至ってフツーに休日を過ごしているように見受けられた。自分は例によって崩れたアパートの後片付け作業へと向かったのであるが(既に退去予告をしたので、あとは震災以降の家賃を減免するよう戦いつつ、今月末までに完全撤退できるようにせねばならない)、ウチの実家は福島市と相馬市を結ぶ国道115号線に近く、ここを走っていると被災地支援に向かう自衛隊や警察などの公用車両に加えて、平時ではまずお目にかかれないような遠方県ナンバーの車が行き来しており、ボランティアなのか親族なのかは分からないが、なかなか興味深くて運転中どうしてもナンバー確認に目が行ってしまう。

ところでちょっと前から何となく、あくまで印象的なものでしかないのだが一つ思っているのは、震災以降交通マナーが悪くなってるよなぁということで、スピード違反はともかくとして信号無視、これをしばしば見かけることがある。ガソリンが手に入らなかった時期、悠長にアイドリングなんかしてられないと気が逸ってそういう行動に及んでいるのだろうと解釈していたのだが、ガソリンが手に入ってもなお変わらないというのは、地震が収まりつつあるとはいえ、被害の中心から遠くはなれているとはいえ、それでもここは被災地、火事場なんだから、ちょっとの交通ルールなんぞ気にしていられるか、というようなムードが醸成されているのかもしれない。或いは、警察もそれどころじゃないから容易に目を盗めるだろうというような成算もあるのか。
うーん、みんな自分が生きるのに必死というのは分かるけど、それってどうなんだろう。とはいえ自分も会社では震災以降、何が起きるか分からないから私服で勤務OKという、こんな事態ならではの特例措置を喜んで受け入れて、「震災なんだからスーツなんぞ着ていられるか」という思いでいてますけれどね。自分の仕事着なんてどうだろうが誰にも迷惑かけないけれど、信号無視だって通行の障害になったり事故を起こしたりしなければ、せいぜいその行為を目撃した人が義憤にかられたり不快に思うくらいで、あんまり人に迷惑をかけるものではなく、こうした異常事態の中にあって、ルールやモラル遵守の姿勢が少し緩くなっているという意味では、自分も信号無視ドライバーも同類なのかもしれないとは思う。もちろん、もたらす(かもしれない)リスクの潜在性という部分では、天と地ほども差があるとも思っているけれど。

リスクといえば・・あぁセシウム。自分はそのことで一向に気が晴れないでいる。文科省公表データによれば、最寄りポイントでの昨日の計測値はやっぱり不安を覚えるくらい高いもので、一昨日は数値が低かったものだから多少気を落ち着けていたもの、だんだん数字の上げ下げで一喜一憂するような状態になってきつつあり、こーいうのはホント精神衛生上よくないし愚かしいことだから止めよう、と自戒してみる。
今自分の身の回りにあるリスクについて過大にも過小にも評価せず冷静に眺め続けて、此処に残ることのリスクとメリット、此処を出ることのメリットとリスクを随時足し引き計算しておき、その答えが「此処を離れるべき」ことを示したら迅速に行動に移す、これが自分の理想とする形である。自分は学者でもなんでもないからその計算は必ずしも正確にはならないだろうから、計算が誤っていて早とちりになるかもしれないし、あるいは時既に遅しということもあるかもしれないけれど、それでも世に数多いる、放射能を無量のリスクとしてみなし他のことなどまったく考慮せぬままひたすら恐れ怯える人たちみたいにはなりたくない。

その手合いの人種でもアリだと思うのは、放射能のリスクを量ろうともしなければ、メリットと種々のリスクとの加減算も敢えてするまでもなく、「リスクは0.1ミリで無い方が良いよね」という単純至極な計算と行動方針によって、とっとと備えや対応やあまつさえ高飛びをかましちゃっている人々である。過剰反応だ臆病者だと笑う人もいるかもしれないが、いずれどちらが勝者になるかなど分かったものではないし、用心するに越した事はないのは間違いない。
まずいと思うのは、自分が囚われっきりになってしまった放射能に対する無量の恐れを、これまた量りようのない安心というものと対決させ相殺させながら、とくだん逃げもしなければ備えもせずにズルズルと行ってしまう人々である。これは良くないと思う。不安や安心という感情的心情的なものは、量りようがない客観性を持たないものだから、その人の主観によって時に不安が安心を上回り、時に安心が不安を覆い隠し、ということを繰り返すのに終始するだけになってしまい、一向に行動を起こさせる切っ掛けを作れなくなってしまう。ってここまで書いてて気付いたが、「放射能なんか気にしなーい!」と開き直れない人がそれでも此処に残っていくつもりだとしたら、そうやって不安を宥めすかしつつ生きていくほかないんだなぁ・・逆なのだ、不安と安心との間の果てなき往還によって実際の行動が疎かになるのではなく、「逃げない」という風に実際何の行動も起こさないということはもう決まっているからひたすら不安と安心の間で揺れ動くしかないのだ、きっと。

少しでも危険に感じ不安に思うならば逃げなさい、まったく安全で安心と思うのならばそのまま居なさい、「そんな単純にはいかない」というならば、やっぱり残ることと逃げることとの損得勘定をしてどうするか決めるほかない、こーいう風にシンプルに考えていればいいんだよなと思っていたけれど、もう少し実情や人間の行動と心理というのは複雑なのかもしれない。みんないろいろあって、いろいろ悩んでいるんだよな、恐らく。
・・などとシンミリ思いながら本日の昼日中街に出てきてみたら、みんなフツーの休日然として過ごしていてあまりの想像とのギャップに拍子抜けした、ということでやっとこ冒頭の話の続きになるのであるが、見る人が見たら「何でこんなに危機感ないわけ?」と叫びたくなるくらい、少なくとも自分の生活区域に住まう人々は、みんな日常生活に戻りつつあるようで、相変わらずニュースに飽き飽きした人がレンタルDVDを借りに行列を成し、颯爽と薄手の春物を身にまとって闊歩している人もいる。えー?!人それぞれの自由だけどさ、ホントにこれでいいのかな?大丈夫なのかな?後から文句言ったってその時にはもうどうしようもないんだぜ?自分の確信や行動方針が揺らぐほど強固な力を備えているわけではないものの、今日の昼に見てきた街の様子はあまりに楽観論が幅を利かせ過ぎているような気がして、不安に感じるところ大であったのであった。
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