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隣の芝はやっぱり青く見えるらしい [地震と原発]

福島県文化センターで開かれた、飯舘村の「今」と「これから」~村民にとっての復興とは~シンポジウムを聴きに行ってまいりました。


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書かれたものでは幾度も目にしているものの、京都原子炉実験所助教の今中哲二先生がじかに話されているのを目にするのは初めてですが、「LNT仮説が一番タフな学説であろう」、「安全基準でなくガマン基準だけがある」など、おしなべてフラットなその物言いには、突き放した科学者的冷徹な態度を感じるどころか、なんだか安心感というか(安定感という表現の方が最適か)、心落ち着くようなところがあったのでした。(ディスカッション部分では他に「ECRRのは仮説だから支持しない」とか「今夏プール入っても良かったのに」とかいろいろありました)



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足早に進められた説明のなかで自分の目を一番引いたのは、今後の線量変化予測のグラフ。風雨による流出や土壌深部への移行を考慮しないものではやはり3年で今の線量の1/2ぐらいになるように描線されていましたが、環境半減期13年モデルというやつですと、更に低い。3年後には今の40%、20年後には今の5%!!うーん、思ったより早く帰れるのか?そうなのか?!どうしても「除染でこれに更に勢いつけて・・」などと考えてしまいました。

そんな仄かな希望を抱きつつも、各説明に立たれた学者の皆様からお話の文脈の中で3/15当初の超高線量&汚染データが改めて示されたりすると、辛い時のことを思い出させられ一気に鬱に・・もうね、あの随分経ってから後出しされた、3/15-16に福島市近辺で採取した試料から100万ベクレル/kg超のヨウ素が出たっていうデータとか見ると、あの時この福島に子供を置いてたんだ、と胸が痛くてしょうがなくなります。妻子を秋田に送り届けるために、仙台行きの高速バスを待っていたあの朝、いやがりもせずマスクをつけていた娘の様子とか思い出すと、そんなもん殆ど意味なかったのに・・と自分の無知さを呪いたくなるし、それでも大人しく言いつけを守っていた娘のことが痛ましく回想されます・・

 ・・って感情昂ぶりモードはここまでwしかし今中先生もおっしゃっていましたが、この事故当初の状態、「思い出したくない」と目を背けることなくむしろもっと詳細を明らかにするべく誰もが目をひん剥いて見なければならないものなのだろうと思います。とりわけ我々一市民にとっては、内部被曝含めどれくらいの被曝量があったのかということ、放射性物質の動向がどうとかよりも何よりも、それが知りたい。もしそれが現行の年間20mSvという避難基準を何回かぶっ壊すくらい破格の数値だったりした場合、これまでの行政措置の正当性というものが根底から覆るかもしれないわけですしね。

ところで、これは飯舘村民の皆様の集いの場であったわけですが、内部潜入したような気になって、ディスカッションの様子などをひっそり息を潜めて眺めておったのですけれども・・うーんどこもみんな首長には不満モリモリなんだなぁとか思ったりwいやぁ別にウチのおやかた様と飯舘村長さんを比べてどちらが長けているか?などとちゃんと分析してみたことないのですが、漠然と「ったくウチの市長は・・」という思いに囚われていると、他のとこのリーダーの方がより良く見えてきたりするわけでして、まぁひとくちに言って伊達市と飯舘村とで明快に不等式を付けられる部分といえば、「計画的避難区域を受け入れたか否か」というところになりますでしょうかね?伊達市にもその話、絶対あったと思うんだけどなぁ。

そんで、飯舘村の皆さんの発言などを聴いていて、うちらと決定的に違うなぁと思ったのはやはり原則全村避難となっているからか、自分たちのふるさとの状況というものがきっちり客体化できているということ。村長の掲げる除染と帰還計画を独断専行だと難じて、リコールしろだの帰らないという抗議的行動をとろうだの、自分たちと村(行政体及び場所としての)との分け隔てが思考的に出来ているなぁと思ったのでした。かたやここ伊達市では避難している人の方がほんの一握りの数であり、おおかたの人は住んだっきりになっているわけでして、もし飯舘村のかたがたのように除染に徹底抵抗するとするならば、それイコール自分らの首を絞めることになるわけです(そのまま変わらず被曝を続けるということですから)。この辺、我々が行政に対し強く戦えないウィークポイントなのかもなぁなどと感じた次第です(だって同じ船に乗り込んだまんまなんだから)。

最後に、司会の負げねど飯舘!!のかたが反原発・脱原発をテーマに掲げては?ということに対して、「それどころではない、そーいうのはこれをニュースで観ている皆さんでやってください!」と毅然と言っていたのには激しく同意しました。そう、それどこじゃないと思う。自分らが生きている間に村の問題が決着するかどうかだって分からないというようなところで、根源を絶たなければ今回のような悲劇が繰り返される、という理由から原発廃止運動に関わっている暇はないと思う。かく言う自分の手も大きくないわけだし、自分が出来る範囲で救えるだけ助けられるだけを救う(助ける)、それでいいんだと再確認することができた一言でした。いやーいろいろ興味深かったです。


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サク

今日は休みです。
今中先生の講演があったんですね!
確か、2日に高田純教授の講演もあったと思うんですが、
それとは別・・・?ですよね?

今中先生は、木村真三先生と共に、
放射能汚染地図の政策に関わっていたし、
自分も行ってみたかったです。
小出助教とはまた違い、冷静ですよね。

当時、福島市の線量が一気に上昇したのは驚きましたが、
その後、順調に減ったのはヨウ素が原因なんですね。
昨日、コメントした記事のプルニウムとストロンチウムの値では、
沈着量ではなく放出量です。(8月中旬の記事より)
原子核理論で博士号を取った方の日記です。

>「それどころではない、そーいうのはこれをニュースで観ている皆さんでやってください!」
ごもっともですね。
自分も最近まで知りませんでしたが、反原発派の方が、
福島県の復興の妨げになってるのは事実です。
除せんすると言えば、廃棄物は受け入れない、除せんしても意味がないという。
福島市の学校の校庭の土の除去がすすまなかったのも、その為だとか? 
子どもを守ると言いながら、残ってる子どもを被ばくさせてるんですよね。
全原発廃炉と補償金目当てなのか?正直、迷惑です。
おっと、熱くなってしまった(笑) 信夫山ネコさんのサイトは見てますよ。
コメント欄に医師や知的な方もいらしてて参考になります。
リンクしてあるサイトも、地元の方が多く心強いです。

全ての反原発派がそうではないと信じたいのですが、
こんな方↓もいるんですよ。本当にがっかりします。
http://pfx225.blog46.fc2.com/


by サク (2011-10-05 08:33) 

hal

>>サクさま

今中先生の持ち時間はせいぜい10分ほどでしたw他にも学者先生がパネリスト参加していたので、ホントにちゃっちゃと済ませておりました。

最初期の状況というのは今にして思えば、高線量・高濃度かつ放射性物質が大気中に存在し、原発現地もどうなるか分からないという状況だったので、ホントに「逃げといた方がベター」だったのだろうと考えています。まーその真に逃げるべきときに、道は塞がってるわガソリンはないわ、公共交通機関は止まってるわという四面楚歌状態に、福島の人たちは置かれていたわけですが。

除染の話については耳が痛いです。確かに世の一部の人が言うようにこれは厄介な代物をよそにうっちゃるというだけの話なので、自分が安心できるようになる代わりに誰かが不安を囲うこととなるわけです。放射性物質の拡散を防止し、封じ込めるというのもセオリーなんだろうと思うのですが、だからといって福島の人が現況を甘受しなければならないのか?といつも堂々巡りに陥ってしまいます。

除染は効果が無い事はなく、やらないよりはやった方が確実に下がるというのが正しい認識だとは思うのですが、それと引き換えに誰かが除染作業に従事することにより確実に被曝するという部分についても自分は答えを出せていません。ただ線量によりますが外部被曝はそこまで問題でなく、作業中の内部被曝対策と健康検査などのアフターフォロー、将来の健康被害への補償の確約、なにより被曝作業であることへの相応な対価が定められていれば、ゴーサインを出してもよいようには思いますが・・

お医者さんは総じて安全寄りの立場をとられることは間違いないですねwホルミシス論を唱えるかたもいらっしゃいますし、仕事柄被曝は当たり前というような人は実経験からいっても「なんともない」と言いたくなるのだと思います。これは自分が前職で見聞きした限りの話ですが(病院運営法人ですた)。
by hal (2011-10-05 10:51) 

K

非常に有意義な会ですね、私のブログでもぜひ、お知らせしたいので、ちょっと詳しく教えてほしいですが、

飯舘村長は、みるからに立派な方だと思っていましたが、村民からはリコールも>なんですか?でも、飯舘は本当に戻れる数値なのか?と思うのです。・・厳しいことですが。そこらへんについての村民の方の反応ですか。

それから、「反原発を掲げては?」といったのは、会場の左翼の方?ですか>?で、飯舘の方がそんな暇ないと言われたのですか。(読み取り不足でごめんなさい)

今中氏は煽り派と思っていましたけれど、小出先生とはまた違うんでしょうか。ECRRを支持しないというあたり信頼感が持てます。我慢基準ということは、野口邦和氏(日大・放射線防護学)も講演で言っていました。
私の知り合いは「応援基準にしたらいい」と言っていましたし。

私の姉は、15日、職場のトップの方からすぐ帰って家に閉じこもれ、目張りを白とも言われたそうです。つまり福島に流れてきたのを察知していた人もいたということですね。私がこの夏に福島市役所に聞いたところでは、そんなことは全然知らずに外で活動していたというので、この情報を得る差はどこにあったのだろうと思います。当時の健康調査(行動記録)が始まっているようですが、全体として、15日は危険だということを知っていた人は何パーセントぐらいなんでしょう・・。
by (2011-10-10 20:02) 

hal

>>Kさま

コメントありがとうございます。「負げねど飯舘!!」さまのホームページはこちらになり、http://space.geocities.jp/iitate0311/ ここのブログの最新記事にてくだんの集会の告知がなされておりました。事前にこのホームページの方に「飯舘村民じゃないけれど聴講してよいか」お聞きしましたら、ご丁寧にお返事もいただけましたので、しっかり団体活動されているのかなぁと思いました。

飯舘村長さんは、私の中では最初、避難に消極的という風にどちらかというと印象良くなくお見受けしていたのですが、あとから全村避難実現に向けて切り替えて動かれていた、とお聞きしたので(地区全体が避難とならなかった伊達市民としては)「いいなぁ」と指を咥えて眺めているような感じでありましたwただ村民のかたたちにとってはやはりそうではないようで、事故以来の村の動き方にも不満があるのでしょうし、とりわけ村長ワンマンで決められた(と村民のかたたちはおっしゃっておられました)という帰還計画には、徹底した拒絶感があるようでした。

反原発については政治的指向のあるかたの発言なのか分からないのですが、村民以外のかたからの発言だったので或いは・・あと原発差し止め訴訟で有名?な河合さんというかたも会場にいらっしゃっていて「原発全廃に繋げよう!」みたいな気炎を上げられていたので、それにノッてしまったのかもしれません。

15日については自分のいる伊達市辺りではたぶん、そうした動きはなかったように思います(その手の話があれば、さすがに今の今までに地元の人から聞いていると思いますし)。ただ自分もこのブログで以前書いたのですが、その日の午後から県HPの県内各地の線量データのうち中通り中・南部で数字が跳ね上がり、「こっちももしかしたら・・」と思いながら福島市(そのときは地元伊達市でのモニタリングは行われていなかったので)のデータをずっとF5ボタンで更新しながら眺めておったのです。

でも夕方、まさしく福島市の線量がドカンと上昇しだした辺りからデータが更新されなくなったんですよね・・行政のヤロウ、「この数字出したらまずいかも」って絶対一回内部で揉んだんですよwまったく・・翌日16日にはさすがに自分もそれを知るところとなりましたが、はなはだ無知だったので家族に外出禁止令は出していましたが、当時の放射性物質の存在状態のことを考えればあんまり意味はなかったんですね・・理系のヒトや元から原発のことを危惧していたようなヒトたち以外の、フツーのヒトたちはテレビの言うことをとりあえず受け入れていたのだと思います。
by hal (2011-10-10 21:03) 

K

ありがとうございました。見てみます。茶髪のイケメンの方の団体ですか。
脱原発かなんかのデモで、県庁の近くで演説さわやかにしており、
「この人は政治色に染まっているように見えないな・・」とは思っていたんですが。

こちらのブログhttp://gabasaku.asablo.jp/blog/2011/03/15/5741115
5時過ぎのものですが、これでは遅すぎるんでしょうか・それとも、この程度はみんな理解していたんでしょうか。それとも、この時点でこのアナウンスを見てたら、みんな警戒してたんでしょうか・・。
他にどこかで見た方も、15日午後からは、危険だと思って家に。。ということを書いていた方もいました。一部では流れてたんでしょうか・・?

更新されなくなったということは初めて聞きました。
そこらへん、きちっと明らかにしてほしいですね、県ということですか。
当然市町村の末端では、危機管理に忙しく、知っていても動かざるを得なかったのか・・。
なぞですね。

終わったことを言っても。。と思う反面、
再発防止にその辺の情報の管理がどうなっていたか知りたいものです。
by K (2011-10-11 10:21) 

hal

>>Kさま

そうです、負げねど王子(と自分が勝手に呼ばせていただいている)あのかたたちの団体です。村の青年団という感じで政治かぶれなどまったくしていないように思えますね。

事故当初ですが大半の人はこのかた程度の危機意識も持ち合わせていなかったのではないでしょうかね。給水やスーパーに長蛇の列を成して並んでいたとよく聞きますし。私もこのかた程度の認識でした。風向きやばい、天候やばい、線量高いとはいっても急性障害出るほどではない・・特にリーク情報を持っているとかではなく、少しネットで情報収集して今回の事象に懸念を持っていたフツーの人のレベルですかねぇ。当時どれくらいいたんだろうか。自分も会社の人と家族ぐらいしか警鐘は鳴らせませんでした。妻子のことだけがひたすら気懸かりで仕事がまったく手につかなかったのを覚えています(仕事してたってのも今考えると凄い状況なのですがw)。

情報制限してたのは国か県だと思います。自分のところの伊達市とかが情報握ってたとは思えません。市長が「放射線は距離に反比例するから大丈夫(キリッ」とか言ってたような感じですからw私が振り返って思うのは、「パニックを恐れて」真実を伝えなかったということらしいのですが、あの時ガソリンみんな無い中でそこまで暴動のようなことが起こったのだろうか?言ってもよかっただろう、ということなのです。事実は事実として「屋外に出る方が被曝面でリスキー」ということも付随して言ってくれれば、それでも出て行く人、留まることを決めた人と選択が分かれてなお整然とコトが進んだと思いますし。

ただ国などが「危険」と一度言ってしまえばその後賠償金を負わねばならなくなる、というような損得勘定がその時点で働いた上で言わないで秘密にしておくことにしたというならば、とても悲しいことだと思います。
by hal (2011-10-11 11:53) 

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